別れに苦しむ人へ①ーその別れの意味を知っているのは、あなただけ

すべての出会いには意味があるという。
それがどんなつながりであったとしても。
すべての出会いにはいつか別れがついてくる以上、
すべての別れにも意味はあるということになる。

別れにもいろいろな形がある。
物理的な引越し、退職、失恋、離別、そして死別。
年を取るほどテープカットのようにニコニコぱちん、と断ち切れるような別れは少なくて
(無理にそれをしようとするとひどい痛みを負うことがある)
たいていは少しずつ、相手やそれまでの場所とつながっていたロープを切っていくようなかたちになる。

去っていく、あるいは別れを決めた側の理由ははっきりしている。
なんとなく引越しや別れを決めました、という人はあまりいないんじゃないだろうか。
それまでの関係やつながりを断とうとするからには、何らかの理由があるはずだ。

こうこうこういう理由でロープを切ります。
あなたとはもうつながりません。
そこをお互いに完全に共有して関係を断つのは難しいだろう。

別れに際してどちらかにもやが残るのは普通のことだ。
特に、突然だったり一方的に断ち切られたような関係の場合、
そのもやはずっと長く心に残り続けることになる。

なぜ失ったのか。
自分がいけなかったからなのか。
あの時ああしておけば良かったのか。

もやの中でわき出る問いに答えを返してくれる相手だったなら、あなたは幸運だ。
実際には、多少なりとも納得できるような答えが返ってくることは少ないだろう。
あるいはもう会えない相手だとしたら?
どんなに嘆いても、永遠に答えが返ってくることはない。

返ってくることのない答え、納得のできない終わりに対し、自分はどうするのか。
その方法のひとつを教えてくれるような映画に出会った。

映画『くれなずめ』。
松居大悟監督の個人的な経験をもとに作られた、とても個人的な作品だ。
高校時代からの仲間たちが、その仲間の中のひとりとの別れを
どう自分の中で着地させるのか?が描かれている。

映画『くれなずめ』オフィシャルサイト
忘れてやる 思い出にするくらいならー/監督・脚本:松居大悟/出演:成田 凌 高良健吾 若葉竜也 浜野謙太 藤原季節 目次立樹 

全員が納得できる別れなんてたぶん無い。
それでも離れていく、旅立っていく側を止めることはできない。
それが同じ世界の中の別れであっても、そうでなくても。

映画の中の登場人物のせりふで「はっきりさせようとすんなよ」というのが複数回出てくる。
映画館の暗闇の中で、そうだよなあ、とため息をつきそうになった。

だってたぶん、本当のことなんて何もわからない。
相手が最後に何を思っていたのか、
何か言ってくれたとしてもそれは本当の気持ちだったのか。
自分の中であいまいなままだとしても、
「本当の理由や意味」をつきとめる必要はない。
理由も意味も自分が判断するしかないし、決めていいのだと思う。

あの人のあのときの言葉や、表情。
出会って、そして失ったわけ。
その理由や意味がわからなかったとしても、
その時の言葉も表情も、あなただけが知っているものだ。
そしてあなたの中に残っていくものでもある。だから自分で決めていい。
たとえぼんやりしたものであっても、それが自分にとっての答えだ。
その答えを持つことで、おいて行かれた側は自分の人生の続きを生きることができるようになる。

映画の終盤、あるチャンスを得た仲間たちは自分たちなりの
「納得できる最後の別れ」を再現しようとする。
もし、「これが最後」とわかった上であの瞬間に戻れるのなら。
自分は離れていくあの人にどんな言葉を伝え、どんなことをしようとするだろうか。
引き留めようとする?ありったけの思いを伝えようとする?

登場人物の彼らが選んだのはそのどちらでもなく、意外な形だった。
ネタバレはしたくないのでここには書かない。
はたから見たら意味があるようには見えなくても、彼らにとっては深い意味を持つ、
そんな別れだった。

もしも納得のいかない別れ方をしたことで傷を負ったり、
心にもやが残り引きずってしまっているのなら。
無理に立ち直ろうとしたり、忘れようとする必要はない。
その忘れられないこと、それ自体が自分にとっての意味を持つと感じられたとき
おかしな言い方だけれど、その別れはあなたの中で「成就した」といえる。
自分のなかでキリをつけることができるのだ。
たとえ悲しみや傷は消えなくても。
その別れはあなたの人生をより深く彩り、支えてくれるものになっていく。

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