推しを推す人を強く推したい話①

あけましておめでとうございます。
相変わらずテレビの中は華やかだけど、わが家のTV画面では元日から将棋の対局が延々流れ続けている。
夫婦二人そろって、このところ将棋にハマっているからだ。

そもそものきっかけは去年の3月にテレビを買い替えたこと、そして同時期に近所で解体建築工事が始まったことだった。
ここ10年ほど私はフィギュアスケートのファンで、オフの日は録りためたフィギュアスケートの映像を見ることを無常の楽しみとしていた。
それが工事の騒音でほぼ不可能に。

騒音は朝から夕方までひっきりなしで、テレビの音は8割がたかき消される。
フィギュアスケートは音楽に合わせての滑りを見るものなので、音のないまま楽しむのは無理がある。
ノイズキャンセリングイヤホンを使っても、工事の振動音が床から襲ってくる。
ストレスのない美しい滑りを楽しむのは不可能になった。

この状況ではテレビの視聴自体が厳しい。
素直に消せばいいでしょうと思われるかもしれないが、私は小さい音で映像が流れている(気配がある)のが
いちばん落ち着くタイプなのです(ワガママともいう)。

音声がごく小さくても、無くても成立するコンテンツ。
それが将棋中継だった。
新しくなったテレビにはYouTubeなどの外部サービスボタンが複数ついていて、
そのひとつのAbemaボタンを押して現れたのが、将棋チャンネルだった。

そもそもルールもわからないのだけど、延々何時間も向き合っている二人のどちらかが頭を下げたら突然終了。
展開がわからない以上、ずっと画面を見ている理由もないので、何か作業をしながら流しておくこともできる。

音は低くても、微妙に何かが動いている気配があり、邪魔にもならないというのは個人的に非常にありがたい存在だった。

そしてそれは在宅勤務中の夫にとっても同じだったようで、こちらが流しっぱなしにしている放送を休憩時間になると覗きにくるようになった。
向こうは子どものころ親に習って多少覚えがあるらしく、たまにこちらに局面についてコメントを入れてくるように。

それを聞いてもやはり内容は理解できない。

だけど、対局者たちの表情や動き、ひとつの手を指すのに何十分、時には1時間以上も考え込む姿を見ていると、
徐々に一人ひとりのキャラクターがきわだって感じられるようになってきたのです。

これがコンテンツにハマる、ないし、<落ちる>瞬間だと思う。

「〇〇をしている人たち」というひとかたまりにしか見えなかったものが、
個性を持ったひとりひとりのプレイヤーとして目に飛び込んでくるようになる。

すると不思議なもので、これまでまったく目に入らなかったような、
試合や対局の結果とも違う「関連」記事が届けられるかのように流れてくるようになる。
あの選手/棋士は大事な場面ではこんな姿勢になるらしい、気合いの入った試合/対局日にはこんなものを食べるという。
そんな記事に目を輝かせたりニヤついたりする自分に気づいたら、コンテンツに<落ちた>証拠だ。

1ファンないし、<推す人>の誕生である。

推す人

何かにハマったというのはフィギュアスケート以来で、10年ぶりのことになる。
そしてこの「これまでなかった何かにハマる」という現象は経験上、自分にとって大きな変化のきっかけになることが多い。

だからいろんなことのあった2020年は、個人的にはひとつの転機でもあり、
この先まだどうなるかわからない2021年は、とても楽しみな年でもあるのです。

 

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