推しを推す人を強く推したい話②

いい感じで1月が進んでいる。
ネットの対局情報を追いかけ、リングフィットアドベンチャーをプレイし、
鏡開きでお雑煮を仕込んだら、Number1018号をじっくり読む。
自分がいかにステイホーム向きの体質なのかがよくわかる。
そろそろフィギュアスケートは各国選手権もはじまったから、スポーツチャンネルの
契約も外せない。

将棋にシーズンがあるのかはまだわからないけれど、
フィギュアスケートはまさに今の時期がトップシーズンだ。
10年ほど前からハマり、おもに「すべての試合映像を見る」という形で追いかけてきた。
世界中で試合が行われるこの時期は、我が家のレコーダーが悲鳴をあげる時期でもある。
容量が足りない→とりあえずディスクに焼くか→いや、CMの分がもったいないし
やっぱり編集しないと(最初から見始める)といった感じで、映像に埋もれる日々になる。

驚いたことに、ここ数年冬のつらさがあまり堪えなくなってきている。
極度の寒がりかつ、冬場になると気分が落ち込みやすくなる傾向があったにもかかわらず、だ。
試合の開催地によっては、1月の日本時間朝4時台の放送なんてこともある。
マナーモードで目覚ましをかけ、ノートPCをベッドに持ち込み、布団にもぐって観ることも(夫はまず起きない)。

これはスケートへの熱量が、自分の血圧や体温を押し上げているとしか思えない。


10年以上前にハマるきっかけになった選手たちのほとんどは引退し、今、具体的にすごく推している誰かがいるわけではない。
もちろん、競技自体の魅力に惹かれ続けているから見ることは続けているのだけど。

むしろ、自分が惹かれているのは「推しを推す人」のありようなのではないかと思うようになった。
フィギュアスケートはお金のかかるスポーツと言われているけれど、ファンもまた同じだ。
テレビ観戦で満足している今の私のようなファンは、だいぶ<弱火>なファンともいえる。

気合いの入ったファン(私から見て)になると、推しの出場する試合・アイスショーは当然全通
(一日2公演以上であっても同様)。
会場が北米だろうがヨーロッパだろうが選手の巨大な応援バナー(横断幕)を持って飛んでいくような人たちがいる。

周囲が見て驚くような<強火>行動でも、その人たちにはそれが自然で、当たり前なことなのだ。

世界のどこであっても推しを応援するために飛んでいき声援を送る。
そしてさらに、推しのために自分ができることは何だろうと本気で考えるようになる人がいる。

かつて、一度だけある海外選手のファンミーティングに参加したことがあった。
当時、日本で試合やショーが開催されると、出場していた海外選手のファンミーティングが開かれることがあった。
エージェントとも交渉し、滞在中の短い時間をぬって、ファンの集まりに選手にも顔を出してもらうのだ。

その選手のことはもちろん知っていたけれど、積極的に推している、という感じではなかった。なのになぜ参加したいと思ったのか。
そのミーティングへの参加条件は、「参加費+選手の活動資金としてひとり〇〇〇〇円以上の寄付金を支払う」というものだった。

クラウドファンディングという仕組みもメジャーになる以前のこと、この条件には正直驚いた。
それまで見聞きしていたファンミーティングは、
〇選手の好物の寿司の有名店へご招待
〇選手に日本文化を体験してもらい、仕立てたゆかたをプレゼント
といったものだったから。

もちろんこれらだってもてなしの気持ちには違いない。遠い国から戦うためにやってきて、
結果にかかわらずただただ来てくれたことを喜んでくれるファンの姿を見たら、選手だって嬉しいものだろう。
そのミーティングの主催者は、それまでも同じ選手のファンミーティングを開催していて、
そういった「もてなし」も何度も行っていた。1ファンとして試合を見に行くところからはじまって、会話を交わすようになり、
スケーター本人との信頼関係も厚く長い。

だからこそ、こちらの思いを乗せたプレゼントではなく、いま確実にスケーターの役に立つ活動資金を贈りたいということだった。
1日でも長く、選手として滑り続けてほしいから。

ファンから応援したい相手にストレートにお金を贈る。身内ならいざしらず、当時はめずらしい行為だった。
ひとつ応援の極まった形だよな、と思ったものだ。
そして、周囲から見たらちょっと異様な感じもあったと思う。

でも、私にはその主催者の応援のしかた=推し方はとてもあたたかいものに思えた。
自分のしたい推し方<確実に推しの役に立つもの を迷わず選ぶその姿に
むしろ、その主催者の方のファンになったくらいだった。

また、映像や写真でもじゅうぶん幸せになれるタイプのファンの方の中には、
SNS上で(それらを紹介しつつ)推しに声にならない歓声やハートマーク、自作の絵を上げ続ける方もいて、それらを見ているだけでもこちらの心の温度が上がる。

最近は「推し(となる存在)」そのものより「推している人」をSNSでフォローすることが多くなってきた。
情熱を燃やし続けている人を見ていると、こちらの心が暖まるのだ。

ex.
@yuzutapioka 国民栄誉賞受賞の先生の奥さま(夫は推しです感が素晴らしい)
@kubomitsurou ユーリ!!! on ICEの作者さん(まさかの
フィギュア&将棋のW推し)

推しを推すひと
誰かを夢中で推している人は、夢中なその様子が、ほかの誰かを幸せにすることもある。
(もちろん周りが見えなくなるほどハマると毒にもなるけれど)
だったらやっぱり誰であれ「推し」がいた方が、幸せな人の総量が増えるよな。
たとえそれが自分の子どもやパートナーでもいい。

何かに情熱を燃やす人、それをあたたかく見守ることのできる人は、第三者の誰かの心にも火をつける力を持っていると思うのだ。

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